2008年02月27日

ベネディクト会の今

もう忘れちゃったよ。
思い出しながら、しらべてみました。


ベネディクト会は現代も活動するカトリック教会最古の修道会。529年にヌルシアのベネディクトゥスがモンテ・カッシーノに創建した。ベネディクト会士は黒い修道服を着たことから「黒い修道士」とも呼ばれた。

彼が修道院の生活の規範とした戒律(『聖べネディクトの戒律』)は以後の多くの修道会の会憲・会則のモデルとなった。ベネディクトの妹スコラスティカも同じ精神を持って生活する女子修道院を開いている。同会の会員は「清貧」「従順」「貞潔」および「定住」の誓願をたて、修道院において、労働と祈りの共同生活を送った。これが観想修道会のスタンダードとなった。

ベネディクト会は以後も存続していくが、カマルドリ会、シトー会、厳律シトー会(トラピスト会)など派生形ともいうべき多くの修道会がベネディクトの精神によって誕生していく。


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2008年01月16日

大田 南畝の作品

大田 南畝の作品大好きです。
もっといろんなこと知りたいです。


大田 南畝(おおたなんぼ 寛延2年3月3日(1749年4月19日) - 文政6年4月6日(1823年5月16日))は天明期を代表する文人・狂歌師。漢詩文、洒落本、狂詩、狂歌などをよくし、膨大な量の随筆を残した。

名は覃(ふかし)。通称、直次郎、七左衛門。別号、蜀山人、玉川漁翁、石楠齋、杏花園。狂名、四方赤良。また狂詩には寝惚先生と称した。

江戸の牛込生まれ。勘定所幕吏として支配勘定にまでのぼりつめたが、一方、余技で狂歌集や洒落本などを著した。 唐衣橘洲(からころもきっしゅう)・朱楽菅江(あけらかんこう)と共に狂歌三大家と言われる。寛政の改革により戯作者の山東京伝らが弾圧されるのを見て狂歌は止める。蜀山人はそれ以降の筆名。墓は小石川の本念寺(文京区白山)にある。

寝惚先生文集
1767年、19歳で著した狂詩集で平賀源内が序文を寄せている。江戸の狂歌ブームのきっかけを作ったとも言われる。(1767年・明和4年は田沼時代の始まりともされる年である)
万載狂歌集(狂歌集)
四方赤良(南畝)・朱楽菅江の共編。題名から知られるように千載和歌集のパロディで200人以上の詠んだ狂歌を集めたもの。
甲駅新話(洒落本)
馬糞中咲菖蒲の作(南畝の変名とされる)。甲駅とは甲州街道の宿場で内藤新宿のこと。
半日閑話(随筆)
浮世絵類考
写本で伝わったもので、浮世絵研究の基礎資料。
瓊浦又綴(けいほゆうてつ)(1804年)
コーヒーを飲んだ体験が書かれており、日本でもっとも初期の頃のコーヒー飲用記である。
調布日記
文字通り、調布あたりの散策記。「野暮天」の語源となった狂歌が収録されている

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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2007年09月26日

稽古中に力士が死亡した事件について

何度か斉藤さんは脱走をした事があるそうですが、その度にこんな酷い暴行を受けていたんでしょうか?結局、当初は暴行を否定していた親方も犯行を認める供述をしましたね。親方も加わってビール瓶で顔を殴るなんて、いくら厳しい世界とはいえ常軌を逸してますよ。

『参照記事』

愛知県犬山市で今年6月、大相撲時津風部屋の序ノ口力士、斉藤俊(たかし)さん(当時17歳)=時太山(ときたいざん)、新潟県出身=がけいこ中に急死した問題で、愛知県警捜査1課と犬山署は、師匠の時津風親方(57)=本名・山本順一、元小結双津竜=を傷害の疑いで、兄弟子数人を傷害致死容疑で立件する方針を固めた。時津風親方は県警の調べに対し、斉藤さんが死亡する前日に斉藤さんを「ビール瓶で殴った」と供述しており、兄弟子も集団暴行したことを認めているという。
 調べによると、斉藤さんは6月26日午前11時40分ごろ、同県犬山市犬山の寺院の敷地内にある同部屋のけいこ場で、名古屋場所に向けた兄弟子とのぶつかりげいこ中に倒れ、午後2時10分、搬送先の病院で死亡が確認された。病院での死因は虚血性心疾患とされた。
 県警のこれまでの調べによると、斉藤さんは死亡する前日の同月25日午前、部屋から逃げ出し、直後に兄弟子らに連れ戻されたという。斉藤さんは4月に入門。それまでにも数回、部屋を逃げ出したことがあったため、同日夜、時津風親方がビール瓶で斉藤さんの額を殴り、切り傷を負わせたらしい。
 この後、兄弟子らが斉藤さんに集団で暴行したという。兄弟子らは以前から度々、斉藤さんに暴行したり、たばこの火を体に押しつけるなどしており、遺体にはやけどの跡が数カ所あった。